Schroeder(2011)やっぱりHOAはまだ行けるかもしれん
この論文の位置づけ
Schroeder(2011)「高階の態度説、フレーゲの深淵(abyss)、命題における真理」
南カリフォルニア大学で行われた学会における、M. シュローダーの発表原稿。彼は、Schroeder(2010)において、ファン・ルージャン*1の批判に基づき、ブラックバーンの高階の態度説(HOA)は時代遅れで「致命的な問題」のある説であると紹介していた。しかし、本論文においてシュローダーは立場を大きく変更している。そして、HOA説にはまだ可能性があり、完全に否定することはできない、と考えを改めている。そのため、これはフレーゲ・ギーチ問題におけるHOA説の位置づけの点で極めて重要な論文であると考えられる。ちなみに、この論文は去年出版されたSchroederの以下の論文集に再録されている。
Expressing Our Attitudes: Explanation and Expression in Ethics
- 作者: Mark Schroeder
- 出版社/メーカー: Oxford Univ Pr (Txt)
- 発売日: 2015/10/25
- メディア: ハードカバー
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1. イントロダクション
【本稿のテーマ】:現代的表出主義者ブラックバーンが行った合成性への挑戦、高階の態度説(HOA)の再検討。 【The Thesis Statement】
ブラックバーンが『言葉を拡散する』において提供したのと広い意味で同じような種類の説明に対しては、ある致命的な問題があると私は長い間信じていた。本稿において、私はその問題を再検討し、なぜ私がかつて考えていたほどこの問題が明確な形では致命的でないと信じるようになったかを説明しよう。(p. 1)
- 本稿で私が提案する答えは真理のデフレ主義を引き継ぐ点はブラックバーンと同様である。
- しかし、命題に対する態度という重要な点で小さな違いがある。
- しかし、私の提案するこの違いは、表出主義をより擁護可能なものにするだろう。
1.1. 投影主義/表出主義、そして、フレーゲの深淵
- この節の説明は、Schroeder(2010)『倫理における非認知主義』第3章第6章と同じ。
- 投影主義・表出主義とは、規範的言明(「べき」「〜はよい」等)の位置づけについての立場。この立場によれば、規範的言明とは、世界に何らかの形で存在するものを表す信念ではなく、私たちの感情等が世界に対して投影されたものである。
- フレーゲ・ギーチ問題とは、これそれのものが誤りであるとか、必然的であるとか、真であるという単純な思考を持ち、その単純な思考を、任意の複雑な思考を持つことについての何らかののストーリーに換えると、一体どんなものになるか、という投影主義側の説明の問題である。フレーゲとギーチがこの問題を問題提起したのは、この問題を解決するために、思考の対象である命題を想定しなければならないと考えたためである。そして、投影主義は「あるものが誤りである」という文を、その想定無しに説明しようとしているように見える。
- この十分な説明には、合成性の原理を満たさねばならない。
- さらに、前提全てを妥当だとすれば、論証の結論も妥当だと考えねばならない、という何らかの合理性のプレッシャー(推論認可性質)を説明せねばならない。
- Hare(1970)による合成性への楽観(積極的な答えは無し)のあと、パイオニアとして積極的な説明を与えたのがブラックバーンだった。
1.2.『言葉を拡散する』におけるHOAアプローチ
SchroederはHOA説の概要を確認したあと、オリジナルのHOA説の問題点とそれに対するSchroeder流の改善案を提示している。HOA説の概要は本記事では省略。
BlackburnのオリジナルのHOA説では、以下に示すように、条件文の前にH!(ばんざ〜い!)を付して、条件文全体のコミットメントを表現しようとしていた。
H! (|B!(lying)|;|B!(getting little brother to lie))
しかし、本稿におけるSchroederの提案は、H!を最初に付するよりも、以下に彼が見せるように、B!(ブ〜!)を頭に付した方が、条件文をよりよく理解できるはずだ、というものである。
[if P, then Q]= BOO([P]&~[Q])
- オリジナルのHOA説の問題点
→結果として、シュローダーはブラックバーンの提案をB!という否定の演算子を頭につけることによって理解することにした。つまり、[if P, then Q]= BOO([P]&~[Q])
とよりシンプルな図式で理解される。
この図式において条件文は、後件を受容すること無しに前件を受容することによって構成される心的状態への否定的な態度-ブーイング-の表出として理解される。(p.5)
- このオリジナルHOAも新HOAも、合成性と推論認可的性質を確保している点が重要である。
- ただし、
;
によって意味されているものが一体何なのか、という点はまだ不明確な部分が残っている。
- ただし、
2. ファン・ルージャンの批判をめぐって
2.1 ファン・ルージャン問題
- 本稿で扱わないブラックバーンの問題点
- 推論の違反が、論理的な不合理ではなく、道徳的無能(moral akrasia)として扱われてしまう点。
- "and"と"not"をどのように組み合わせるかが不明確である。
- しかし、これらはブラックバーンの主張の中核を傷つけるものでは決してない。ブラックバーンへのよりラディカルな批判はファン・ルージャンによってなされたため、私はそれを「ファン・ルージャン問題」と呼ぼう。
2.2 正しい述定を発見する
'if P, then Q'を'it is false that P and not Q'と変換すれば、ファン・ルージャン問題に抵触しない形で問題の当面の解決が可能。 ここで必要なコミットメントは二つ。 1. 'not'と'false'は論理的に同じ機能を持ち、同じ種類の態度を表出する。 2. 'that P and not Q'のような'that'節は、心的状態--'false'と'not'によって表出された態度がその対象に対して取る種類のもの--を示す。
3. 代替案を考える試み
3.1 おもちゃ理論
3.2 「偽」の準余剰説
- 私の解決案が訴える必要のある「偽」についてのアイディアは、真理のデフレ理論の一つである。実際、'it is false that P'の意味を'not P'の意味と同じものとすることによって、いわゆる真理の余剰説-プラグマティックにシンプルな真理論-と多くのものを共有するのである。
- しかし、私の「偽」の扱いが真理の余剰説よりもよいと考えられる重要な点が二つある。
- 一般的な真理の余剰説が面する問題はふたつ。
- 第一の問題は、'it is true that P'と'P'が推論的に同等であるからと言って、一方を考える事無しにもう一方を考えることは可能であるように見える点である。
- もし本当に同一ならそれは不可能であるはずだ。
- しかし、私の「偽」の準余剰説とでも言うべきものに、この考え方は当てはまらない。
- なぜなら、自然言語において否定的な文を形成するために私たちの持つ多くの方法が、真理や偽の観念を必要としているように、実際見えるためである。
- 第一の問題は、'it is true that P'と'P'が推論的に同等であるからと言って、一方を考える事無しにもう一方を考えることは可能であるように見える点である。
- では、命題についてはどうなるだろうか?次の節で検討してみよう。
後半はかなり飛ばしているのでまた今度。
4. ブラックバーンの命題説をめぐって
4.1 命題:ブラックバーンの立場
4.2 ブラックバーンの立場に対抗する:命題の理論的役割
4.3 これで十分かな?
*1:オランダ系にルーツを持つ(だろう)彼の発音はカタカナ表記にするのが難しい。van Goghが「ファン・ゴッホ」となるのだから、van Roojenのvanの部分もファンで堅いだろう。彼の出演しているビデオを見ると、「ファン・ルーャン」というように、jを「ヤ」の音で発音しているように聞こえるが、スペイン語のようにjをyの音で取るほどの自信もないので、本稿ではファン・ルージャンとした