Schroeder(2010)ギバード的意味論の説明していないもの

Noncognitivism in Ethics (New Problems of Philosophy)

Noncognitivism in Ethics (New Problems of Philosophy)

第7章 The Frege-Geach Problem, 1988-2006

7.1 私たちのいるところ

  • 私たちは以前の章で、Blackburnの高階の態度説の陥った問題として、van Roojen問題を学んだ。
  • van Roojen問題を避けるために必要なことは何か。
    • そのためには、[P][Q]というPという思考とPでないという思考が、日常的記述的信念とまさに同じ方法で衝突することを、表出主義者は示さなければならない。そうした衝突の方法とは、「芝生が緑である」と「芝生が緑でない」という信念が衝突する方法である。
    • こうして、フレーゲギーチ問題に対する最も見込みのある表出主義者のアプローチは、複雑な文の意味に対するレシピを提供するために、まさにこのアイディアに訴えようとしてきた。
  • 本章では、不一致のような概念に直接的に訴えた場合、どれほど簡単に、複雑な文によって表出される状態の記述に対するレシピをあてることができるかをまず確認する。
    • こうした記述には、van Roojenの問題は当てはまらない。
    • それらは、形式的に十全(formally adequate)である。
    • しかし、高階の態度説と異なり、こうした記述的アプローチが構成的でない(non-constructive)。
    • それゆえ、このアプローチは、そもそものフレーゲ・ギーチ問題によって課された基本的な困難に本当に答えるものではない。
  • 恐らく、この章は本書において最も難しい章である。しかし私は、初めての人でも分かるように、表記法をその都度説明しながら進めていくつもりである。

7.2 ギバード的意味論

  • どんな文Pに関しても、もしあなたがPと考えるなら、あなたはあなた自身を不一致に着地(land)する。たとえば、あなたがPと考えるときには、あなたは~Pと考える全ての人と不一致であろう。この観察から、不一致のアイディアを直接的に利用することが可能である、と想定して議論を進めてみよう。
    • この場合、P∨Q(PまたはQ)という文はどのように説明されるだろうか。
      • この文を考える人が不一致であるのは、Pと考える人、および、Qと考える人、の両方の人に、不一致である人々である。つまり、単にPと考える場合よりも、より少ない不一致にあなたを着地させる。
    • こうした単純な観察の示唆するものは、P∨Qと考える内容を、人がその思考を持つことによってあなた自身を着地させるような、不一致の心的状態のセットの観点から、私たちが特徴づけることができるだろう、ということである。
  • ここで、以上の表出主義のアイディアを表すために、新しい表記法を導入しよう。それは不一致クラス(the disagreement class)としての|M|である。
    • |M|は、Mという心的状態にいるどんな人でも不一致であるような、心的状態xを全てかつそれのみ含む、あるひとつのセットの心的状態である。こうした人々が不一致に着地する心的状態を表記するために、|M|は用意される。
    • これまで、[P]によって、'P'によって表出される心的状態を表記してきた。
    • それゆえ、|[P]|と書けば、Pと考えることの不一致クラス--つまり、Pと考えることによってあなたが不一致になる心的状態のセット--を表記することができる。
  • この表記法を用いれば、先ほどのP∨Qの文の例を、より簡潔に表すことが可能である。こうなる。:|[P∨Q]|=|[P]∩[Q]|
    • つまり、あなたがP&Qと考えることによってあなた自身を不整合に着地させる心的状態のセットは、Pと考えることによってあなたが不一致に着陸する全ての心的状態のセットと、Qと考えることによってあなたが不一致に着陸する全ての心的状態のセット、このふたつを含み、他には何も含まない、ということである。
    • (∩は積集合を表す数学の記号である)
  • ここで、合成的な表出主義者の意味論を提供しようとするプロジェクトは、[P∨Q]を、[P][Q]が与えられた場合に決定するレシピを提供するプロジェクトである。
    • ここまでの議論が依拠していた観察は、[P∨Q]が何であるかを説明したものではない。しかしそれは、それについてなにか重要な事を確かに説明してくれている。
    • 先ほど見たように、[P∨Q]は、xが何であれ、|x|=|[P]|∩|[Q]|であるような心的状態xであった。つまり、[P][Q]のそれぞれに対して不整合である心的状態の積集合、と説明される。
    • このように、不一致の観察を用いると、記述によって[P∨Q]が何であるかを特定することが可能となる。
    • [P][Q]等のインプットがあれば、特定が容易に可能なので、一見するとこれは進歩のように見える。
    • 私は当初、「不一致のような概念に直接的に訴えた場合、どれほど簡単に、複雑な文によって表出される状態の記述に対するレシピをあてることができるかをまず確認する」と述べた。こんなことを、私は最初に意味していたのである。
  • さらに、私たちは[~P]に関しても、同様のことを行うことが可能である。
    • ~Pと考える人は、Pと考えるどんな人とも不一致に着地する。
    • 彼女はまた、Pよりも強いどんなことを考えるどんな人とも、不一致に着地する。
    • 「Pよりも強く考えること」とは何か。:
      • Pと同じ強さの何かをあなたが考えれば、少なくとも、Pと考えることによってあなたがが着地するであろうものに対して不一致であるのと同じ人々の全てとの不一致に、あなたは着地する。
      • つまり、何らかの心的状態yが、少なくとも、Pと考えることと同じぐらい「強い」のは、Pと考えることの不一致クラスが、yの不一致クラスの部分集合(subset)である場合のみである。
      • それは、部分集合の記号⊆を用いれば、|[P]|⊆|y|と表記できる。
    • ここまでを要約すると、y∈|[~P]| であるのは、つまり、心的状態yが~Pの不一致クラスに属するのは、 |[P]|⊆|y|である場合のみ、つまり、Pの不一致クラスがyの不一致クラスに属する場合のみである。
      • 同様のことは、|x| = {y:|[P]|⊆|y|}としても表記できる。yがxの不一致クラスであるのは、|[P]|⊆|y|である場合のみ、ということである。
      • ここまで、[P]をインプットととした場合に、[~P]のレシピがどのように与えられるかを私たちは見てきた。
  • さて、表出主義が重要な意味論的性質であるnotをどのように説明するかを確認しておこう。自明な前提として、|[P]|⊆|[P]|、|[P]|∈{y:|[P]|⊆|y|}とふたつを置けば、彼らは以下のように説明することが可能である。
|[P]|⊆|[P]| //[P]の不一致クラスは[P]の不一致クラスの部分集合である。
[P]∈{y:|[P]|⊆|y|} // 心的状態[P]は、[P]の不一致クラスがyの不一致クラスの部分集合であるような、そんな集合に属する。
それゆえ、[P]∈|[~P]| // [P]は、[~P]の不一致クラスに属する。
  • 最後の行の[P]∈|[~P]|が述べることは、「Pと考えることは、~Pと考えることの不一致クラスである、ということ」であり、これはただ、~Pと考える人がそれによってPと考える人と不一致である状態に自分を着地させる、ということに過ぎない。
  • さらに、もし私たちがP→Qを~P∨Qを意味するとして定義するなら、まさに同じような論証(実際にはより複雑であるが)が、モーダス・ポネンス論証が不整合性質を満たすことを示す。あなたは、章末のエクササイズにて、条件文の証明を詳細に導くよう求められるだろう。
  • 加えて、このアプローチはvan Roojen問題を発生させない。
    • なぜなら、このアプローチが証明するのは、直観的にお互いに不一致であるべき思考が実際にそうであることだけでなく、直観的に不一致であるべき思考がそれ以上に不一致である、ということだからである。
    • それは、|[P]|が、あなたを不一致に着陸させる心的状態のセットとして、単に定義されているためである。
  • 私は、このセクションで発展された表出主義的意味論への不一致クラスアプローチを、ギバード的意味論と呼んでいる。なぜなら、それが本質的に、フレーゲ・ギーチ問題に対してAllan Gibbardの二冊の本において、フレーゲ・ギーチ問題に対して提唱されたアプローチだからである。
    • そして、それが単にギバード意味論である理由である。これらの違いは、章末のエクササイズにおいて説明され探求される。

7.3 非構成的で非説明的な欠陥

  • 一見すると、ギバード的意味論は、フレーゲギーチ問題に対する解決に求められる全てのことを満たしているように思われるかもしれない。
    • それらのシンプルな部分によって表出された複雑な文に基づき、表出される心的状態に対するレシピを与えること、そしてその後にそれを用いて複雑な文の意味論的性質を説明するために、それらのレシピを求める、という、解決に求められる全てである。
  • しかし、それは単なる幻想である。このアプローチは、実際には、複雑な文によって表出される心的状態が何であるかを教えないし、そんなことがあるということすら保証しない。
    • だから、これらの意味論的性質もまた、実際には説明されていないのである。
  • 表出主義者の説明の欠陥:彼らの与える複雑な文についての意味論は、ある心的状態の確定記述(definite description)でしかない。
    • 表出主義者の言うことは、[P∨Q]が、xが何であれ、|x|-|[P]|∩|[Q]|のようなxというその心的状態であり、[~P]が、xが何であれ、|x|-{y:|[P]⊆|y|}というその心的状態xである、と言うことである。
  • もしそんな心的状態があれば素晴らしいが、もしそんな心的状態がなければどうだろうか。このアプローチはそれが実在すると保証する方法を何も持たないのである。
    • [P∨Q][~P]という説明が満たす必要のある特徴のお願いごとリスト(a wish list)を私たちが思いつくからと言って、十全な理論のためには、それだけによって、表出主義者がその理論を頼ることはできないのだ。
    • 表出主義者が依拠した不一致性質は、道徳的文が他のどんな信念とも同じ日常的な信念であると考えても、説明することができるものである。
    • 私たちの問うていることは、表出主義が真であるか、だ。彼らは論点先取をすべきでない。
  • ギバード的意味論と高階の態度(HOA)アプローチのそれぞれの強みと弱みを対照的に捉えることは、役立つだろう。
    • 高階の態度説は構成的であった。複雑な文によって表出される心的状態の記述を単に与えるだけでなく、実際にそれらの心的状態が何で、いつもそんな心的状態があるということを保証していた、という意味で、高階の態度説は構成的だった。
      • 高階の態度説はさらに、心的状態の意味論的性質についての想定に訴えかけることによって、なぜこれらの心的状態が他の心的状態と合理的に衝突するか、を説明していた
      • たとえば、Blackburnはあなたが避妊している心的状態にあることは不合理であるかを説明し、それが、条件文において表出されている心的状態が推論認可的性質を満たす方法であると説明していた。
      • しかし、その説明が強すぎ、あまりにも実質的であったため、高階の態度説はvan Roojen問題に直面してしまったのである。
    • 対照的に、ギバード的意味論は、彼らとは独立の事実に訴えることによって、それらの不一致クラスの観点からこうした心的状態を記述しているに過ぎない。それは、こうした不一致クラスを持つのがどんな心的状態であるかを教えないし、それらが不一致である心的状態となぜ不一致であるのかも説明していないのである。
      • ギバード的意味論は、単にそうした心的状態があると仮定し、そうした仮定が満たされるだろうと望んでいるに過ぎない。
      • ギバード的意味論は実質的な不一致関係の説明を与えない事によって、van Roojen問題を回避している。
      • だから、ギバード的意味論は構成性説明力のコストで、形式的正しさを購入しているのである。
  • 構成性説明力のコストで、形式的正しさを購入しているのは、ギバード的意味論だけではない。新しい世代の表出主義は見かけ上は様々であるが、本当のところは、ギバード的意味論のように、非構成的ではあるが形式的に正しい、という路線である。
  • 実際、私たちが次のふたつのセクションで見るように、全てのこうした見解が非構成的であるのかには理由がある。私たちの見るものは、2, 3のシンプルな制限を満たす形式的に十全な表出主義者の理論には何も構成的でありうるものがない、ということである。
  • その途中で、私たちは、構成的なレシピを提供することへの失敗が、なぜそれほど表出主義にとって問題であるかを、より詳細に見ていこう。

続く