Norman & MacDonald (2010)利益相反のこれまで

The Oxford Handbook of Business Ethics (Oxford Handbooks)

The Oxford Handbook of Business Ethics (Oxford Handbooks)

Norman, W., & Mcdonald, C. (2012). Conflict of Interest. G. G. Brenkert & T. L. Beauchamp (eds), The Oxford Handbook of Business Ethics (pp. 441–470). Oxford University Press.

第15章 利益相反 (pp.441-470)

イントロダクション (pp. 441-)

  • 利益相反は、われわれの職業的・組織的・政治的生活において、普及した倫理的関心である。[...]。この理由のために、私たちが知るようなそうした概念が、せいぜい半世紀ほどしか経ていないと知れば、多くの人が驚くだろう。アリストテレス、カント、そしてJ. S. ミルという、三人の卓越した現代のビジネス倫理における思考の源泉は、利益相反についての現代的な関心のようなものを何も熟考していなかった。[...]このパズルを探求すれば、すぐにこんな結論に達するはずだ。すなわち、利益相反という概念が、他の倫理的概念と多くの方法で異なっており、また、かつて20世紀の中盤以前よりもはるかに顕著な状況にある、私たちの世界と私たちの政治的文化への応答としてそれが現れてきた、という結論に、人々は達するはずである。
  • 私たちの[本稿では]ねらいは、過去数十年にわたる多くの概念的な論争の解決(settle)に向けてなされた実質的な進歩をじっくりと検討し(take stock of)、経験的規範的な問いと実質的規範的問いへの両方における、道徳的な注意に値するアジェンダをスケッチすることである。
    • 私たちの論ずるのは、こうした[先行研究の]"micro" 分析を、会社のための組織デザインというより適切な"mid-level"の理論と、民主主義的な社会における市場のデザインと規制のための"macro"理論と併合させることが、既に進行中の次の段階[の来るべき研究]である、ということである。

利益相反という概念 (pp. 444)

"Conflict of Interest as a Moral Category"というNeil Luebkeによる影響力のある著作で、「 『利益相反』という名辞は1930年代以前に全く使われておらず、さらに、1949年以前の判決(court decision)において全く生起していない」ということを彼は発見した。  

  • 該当のLuebke(1987)はこちら
  • かつては、「衝突する利益」(clashing interests)のように、2つの立場の利害関係の衝突、という意味で利益相反、という言葉の綴りが適用されることが一般的だった。
    • また、義務や信頼、信託とった利益相反のコア概念を、何世紀にも渡って発見することも不可能ではない。
    • しかし、やはり現代の利益相反の概念には目新しい部分がある。それを検討するために、近年の学術的な定義の試みにうつろう。
    • 以下でのねらいは、利益相反の本質の最善の説明に触れ、現時点で学術的なコンセンサスが得られているところと、論争の行われている箇所をハイライトすることにある。
  • ビジネス倫理における利益相反の定義の試みの歴史。
    • ビジネス倫理における「利益相反」の定義をめぐる現代の哲学者達たちの議論は、Micheal Davisよる1982年の、シンプルに「利益相反」と題された論文に遡ることができる。
    • Davisは、法学的な利益相反の分析と、法的分析の外側の理論的に重要な分析を、調停するべく研究した。
    • アメリカ法曹協会による理解にもとづき、彼は「大雑把な形式化」と全面的な概念的定義の両方を提供した。
    • Davisの指摘するように、利益相反において重要な用語は、関係性(relationship)、判断(judgement)、利益(interest)、そして適切な実行(proper exercise)である。彼は、たった3ページで、これらの基本的な論点を提出した。
    • しかし、Davisによっても、利益相反の定義にまつわる論争を1982年の論文で終わらせられることはなかった。Davisに対する反応として、多くの後続の分析が行われた。
      • たとえば、John Boatrightは利益相反は判断の観点からではなく、他の利益に基づく行為(acting in another's interest)から定義されるべきだと論じている。*1
      • また、Thoms Carsonは、「判断の行使への干渉」の役割の強調を否定し(deemphasize)、Boatrightのように、義務の遂行の中心性を強調している。*2
      • 同様に、Andrew Starkも、職業的で、託された支配者の(principal)な義務を遂行する際に、その職業家を損ないうる利益を所有している場合に、利益相反が生じると考えている。*3
    • 本研究では、これ以上学術的な定義の試みには立ち入らないが、以下では、こうした研究の蓄積によってどんな実質的な知見が可能となったかを確認しておこう。

コアアイディア? (pp.446-)

  • 結局何が「利益相反」のコアアイディアなのだろうか。
  • 必ずしも利益相反を持つのに職業を持つ必要はないが、学術的な研究は、コアアイディアの話を職業上の利益相反からはじめてきた。典型的な例では、弁護士や医者などの職業のように、クライアントの利益への義務を持つ一方、職業家自身の利益も考慮する立場が、挙げられてきた。
    • しかし、このような具体例には述べられるべきことが数多くある。
      • まず、そもそも、職業や職業上の義務、という言葉には、とてつもなく大きい内容が含まれている。この点は後の章で触れよう。
      • 次に、本当の「利益相反状況」と一般的な「支配者-行為者」(principal-agent)問題の差を私たちは踏まえる必要がある。
      • 例えば、工場の労働者(行為者)はできるだけ仕事をサボりたいという利益を持ち、これは工場主(支配者)の利益と確かに衝突している。しかし、通常これを利益相反と呼ぶことはない。
  • ほとんどの注意深い定義は、個別の状況の種類を選び出すことに重要性を置いている。
    • ある人は彼女自身がいるとみなす種類の状況のために利益相反を持つのであって、彼女自身の欲求や利益、動機等の実際の状態のためだけに、利益相反を持つのではない。これが、一般的で怠惰な従業員から、葛藤を持つ職業家を区別するものなのである。また、道徳的にさらに心理学的に自身のクライアントに対する義務に職業家がコミットしているときでさえ、利益相反の状況に彼女がおり、彼女があれこれの状況にいるために彼女が利益相反を持つ、と私たちは言うだろう。このことも、状況に注目する理由となる。
      • やはり、この点に関してはDavisが「人は、過ちを犯すこなしに、利益相反を持つことがありうる」と述べたことに反対する理論家はほとんどいないだろう。
  • アリストテレスやカントが利益相反を現代的な意味で考えていなかったのも、彼らが利益相反の状況を考慮していなかったためである。
    • 彼らの古典的な枠組みでは、職業家にとって利益相反が問題なのは、単純に言えば、正しく名誉あることを行う勇気が無く、誘惑に負けてしまうからだ、ということになってしまう。
    • こうした徳-中心的(virtue-centric)なアプローチの問題点を、2つ指摘しておこう。これらは後の部分でより詳細に触れる。
        1. 第一に、衝突を持つ個人が自分の判断にかかるバイアスを知ることができる能力を、過大評価している。
        1. 第二に、従業員が監督されていない機会があるだけで、彼らの従事する会社は大きく評判を傷つけられる、という事実を彼らは説明に加えていない。
  • しかし、彼らの古典的な「崇高な道徳性」(noble morality)と今日の「職業的道徳性」を私たちは比較することが私たちにはできる。今日では、利益相反という概念の倫理的な顕著さが認識されているのである。
    • 1964年に既に法学者のBayless Manningが述べたように、「[法学における利益相反において]主観的な意図は問題ではない。もし誤った種類の外的利益があれば、懸命な努力(leaning over backward)や魂の清純さどれだけあっても、委員会や法規(statutes)の確認を満たすことはできないだろう」。
    • このように、職業家や会社における利益相反の規則では、主観的な意図ではなく、「客観的」な状況に同様の重要性がある、ということが私たちはいまや分かるだろう。
    • 職業家の心理的な能力だけでは不十分である、というのは、彼らの能力についてシニカルな姿勢であることを意味しない。
      • 自分自身がそうした状況にいると分かるにに誘惑のみに抗う以上のことを、その人がする必要がある、ということを、私たちがいま考えている。これがそういうことなのである。
      • 単に誘惑に抗うのではなく、利益相反を様々な方法で具体的に管理することが求められている。

利益相反の様々な種類 (pp.448-)

  • 現代の私たちの世界には、利益相反のタイプは激増している。かつての典型的な例である「小さな街の弁護士」や「町医者」といったイメージから喚起される文脈とは、はるかに異なる問題が生じているのだ。
    • まず、競合する利害関係がかなり複雑化している。製薬会社や投資銀行のような大規模な組織で、職業家は働くようになってきている。
    • 次に、専門職の必要とされる領域の拡大によっても、利益相反のタイプは増殖した。新しい金融サービスやコンサルタントなど、企業においても様々な専門職または準専門職(quasi-professional)が必要とされる仕事が生じてきている。
    • さらに、利益相反に関係する、専門的な判断が求められる傾向が強まっている。ここでの判断とは、専門職の自律(autonomy)まで求められるものではない。むしろ、専門職の人々の上司とクライアントの両方が評価することが難しいと思うような専門知識をふくむ、かなりの専門知識を必要とする判断行使(exercise)が、現代的な企業で配置される管理職の個人(individual manager)には、求められているのである。

概念分析から、規範的な評価と組織的設計へ (pp.450-)

  • ビジネス倫理コミュニティにおける利益相反の概念をめぐる論争は、かなりの人々が意見の違いを認め合う(agree to disagree)段階に達している。
    • どのような状況が利益相反か、それが利益相反なのはなぜかという点だけではなく、利益相反のコアアイディアについても実質的な見解の一致があるようだ。
    • たとえば、利益相反にある人がいることを同定するための最重要の条件(primacy)は、状況である、という点には、広い合意があるようだ。
    • また、ある行為者が専門知識に関わる判断を行使する必要があり、さらに、支配者がその判断を評価することが難しい状況で、利益相反が問題になる、という点もかなり同意が取れている。
    • 支配者に対する特別なまたは受託的義務、そして、行為者の適切な判断に干渉するような、他の利益の存在の、重要性についても同意が行われている。
    • これらの広いコンセンサスは、先ほど私たちの見た論争のサーベイの結果生じた「構造」(gestalt)として見なされることもできるだろう。
  • 一方でまた、これらの概念分析をより詳しく見ると、未だ活発である不一致に気づくことができるだろう。
    • Davis、Boatright、Carson、そしてLuebkeをふくむ一流の理論家の何人かは、書籍でも学術的会議でも、複数の論争の繰り返しを経験してきたが、利益相反の概念にはその論争を通しても未だそれほど解決されていないものがある。
    • 利益相反のどんな定義にも、「判断」「受託」「利益」「関係性」(relationship)のように、様々な解釈と条件に開かれたままである概念に関わっている。
    • どの要素の概念が本質的か、あるいは派生的であるか、について、多くの理論家は意見を異にしている。
    • たとえば、利益相反とは、行為者の持つ支配者の利益において行為するための判断や能力(judgement and ability to act in the interest of the principal)が潜在的に危うくなる(compromised)状況であることが、多くの理論家には理解されている。
    • しかし、干渉されている要素のうち、一体何がより本質的なのだろうか。判断か、相手の利益において行為する能力か、自分の義務を遂行するための能力か、どうだろうか?この問いはさらに関連する領域として、どんな方法がこうした概念的問いを決定するのに適切か、という問いを喚起してしまう。
    • 多くの人は、この問いへの答えが人を失望させるものだと分かるだろう。この種類の概念的な定義において保持されるべき、「真理」は何もないのである。何に利益相反の資格があり何にその資格が無いのか、この点についての私たちの理論をテストできる、利益相反の独立的に存在する現実は全くないのである。私たちはその用語の深い意味を求めることはできない。なぜなら、「利益相反」は、テクニカルなディスコースでも日常的なディスコースでも著しく曖昧で不安定な意味を持つ、比較的最近の専門用語(term of art)であるためである。*4

  • しかし、私たちが最初に触れたように、人々は確かに利益相反に気づくことができるようだ。だから、「利益相反」のよい定義を期待してもよいだろうようなあまり論争の余地のない状況のセットを私たちは同定することができるのである。
    • また、工場の怠惰な従業員のような、単なる支配者-行為者かんの問題や利己的な問題のみから、利益相反をかなり区別することができる。こうしたケースは、単なる「相反しあっている利益」(conflicts of interest)なのであり、現代の哲学者たちの理論はこうしたケースも正しく利益相反ではないと同定することができる。
  • 結局、こうした概念の定義をどれほど正確に調整すればよいのか、という問いは、プラグマティックなものなのである。私たちは、以下のようにこの時代に特定の問いを区分する必要があるだろう。
レベル 問い
ミクロレベル さまざまな関係者やクライアント、雇い主、また一般の人々に対して、職業人や専門家の負うている(owe)義務は何か。サービスをクライアントに売るという文脈において、その人が自分の利益を追求するために持つ必要のある権利は何か。自分が利益相反の状況にいると認識したり、そのように見られうる状況にある場合と分かった場合、その人は何をすべきだろうか。
ミッドレベル 職業人と専門家を雇用する会社や何らかの組織は、雇用者自身の利益相反だけでなく、その組織それ自体が利益相反を回避するために、どのように構築されるべきだろうか。その雇用者の間の利益相反について、その組織はどんなルールを持つべきだろうか。その組織はどのようにこれらのルールを教え、監視し、強化すべきだろうか。[...]
マクロレベル なぜある職業があるべきなのか。そして、一般的な職業集団が、参加者に免許を与える(さらに罰し追放する)権利を独占するように認可されている(granted)べき時はいつだろうか。逆に、専門家のドメインが市場において自分たちの取引に専念するよう単に放っておかれるのはどんないつだろうか。どんな利益相反のルールや法が、公務員や選出された議員、裁判官等に適切だろうか。
  • これらのサンプルの問いは、かなり中心的な問いであるが、包括的なリストを構成していない。これらの総体的に具体的な問題の背後にあるのは、「さらに、どんな種類の理論や原則が、この種の問題への解答を正当化するのに、適切だろうか」というような、より抽象的な問いである。「理論や原則」と言うことによって、そうしたものが倫理的またはさらに規範的なもののみに限られると含意したい訳ではない点に注意してほしい。理論や原則の中には、ある種の慎重な(prudential)理由があってもよいし、そうでない場合もある。たとえば、会社や職業家集団の両方が利益相反(とその認知)に顕著な注意を払おうと決定するのが、こうするのが、彼らの顧客や政府の監督者からの信頼(trust)を確保するために最善の方法であるから、であってもよいのだ。そして、信頼は割に合う(pay)のである。*5

  • このリストの問いは、ミクロレベルの問いはミッドレベルの問いに左右され、さらにミッドレベルはマクロレベルの問いに左右される、というように、より大きなレベルの問いに依存する傾向があると言えるだろう。
  • この章の残りでは、心理学的な知見がどのように中間レベルの問いに影響をあたえるかを検討する。さらに、政治哲学的視点から省察を加えることによって、この章を締めくくりたい。

*1:John Boatright, "Financial Services," in Davis and Stark, Conflict of Interest in the Professions, 219.

*2:Thomas L Carson "Conflict of Interest and Self-Dealing in the Professions: A Review Essay," Business Ethics Quarterly 14(2004): 165

*3:Andrew Stark"Why Are (Some) Conflicts of Interest in Medicine So Uniquely Vexing?" in Conflicts of Interest: CHallenges and Solutions in Business, Law, Medicine, and Public Policy, ed. Don A. Moore, Daylian M. Cain, George Loewenstein, and Max H.

*4:p.451 "There is no independently existing reality of conflicts of interest"の訳が微妙。

*5:Ibid., p. 452