Norman & McDonald (2010)利益相反のこれから

The Oxford Handbook of Business Ethics (Oxford Handbooks)

The Oxford Handbook of Business Ethics (Oxford Handbooks)

Norman, W., & Mcdonald, C. (2012). Conflict of Interest. G. G. Brenkert & T. L. Beauchamp (eds), The Oxford Handbook of Business Ethics (pp. 441–470). Oxford University Press.

第15章 利益相反 (pp.441-470)
前半のつづき。

認知的なバイアスと、組織設計のための中間レベルの理論 (pp.453-)

  • 利益相反の状況における個人の心理的バイアスの傾向を知ることは、利益相反に対処するための組織的設計を考える上でも、また少なくとも、マイクロレベルの利益相反の分析でも重要である。
  • 哲学者たちとは違い、心理学者たちや実験心理学者たちは、クライアントの利益に仕える動機や判断に対して、どのように他の利益が干渉しうるかを理解しようと試みてきた。
    • こうした心理学の知見は、組織が個人に対して利益相反を教育する場合だけでもなく、干渉を行うような利益を個人から隔絶するような、組織の設計を考える上でも、重要である。
  • 心理学の知見では、Daniel Kahneman、Paul Slovic、そしてAmos Tverskyの研究が重要な試金石となる。
    • 彼らの研究は、合理的なの認知からの逸脱である認知バイアス、そして、利益によって影響を受ける判断のバイアスである動機バイアスを探求したものである。
  • 心理学の認知バイアスには「フレーミング効果」、「整合性バイアス」、「内集団バイアス」等が含まれる。
  • こうした心理学的研究の内容の集合的な知見は、このようなものだ。人間の判断は、しばしば非生産的で、気づかれず、ある個人が補正するのが難しい方法で、絶えずそしてしつこくバイアスをかけられている、ということである*1
    • これらの知見を踏まえると、組織的レベルで利益相反を考えるのが合理的であろう。
  • 近年の研究が示しているように、医者(physician)、アナリスト、監査人(audit)等、様々な専門家や準専門家が利益相反の状況によって判断にバイアスを受けうる。

経験的な情報を持つ規範的理論に向けて (pp.456-)

  • 心理学の研究は、どのような要因がバイアスを与えるのかを明らかにするため、中間レベルの利益相反を考える上で重要である。以下のような対策が提案されている。
    • 回避(人の判断を危うくさせうるどんな利益の獲得も回避する)
    • 調整(alignment)(意思決定者の利益が、奉仕される人の利益とあうように調整するような、インセンティブの調整)
    • 客観性(その人の義務の客観的な行使への心理的なコミットメント。実のところこれは「古典的な」特に基づいた提案である)
    • 開示(影響を受けうる人々へ、利益相反を開示する)
    • 独立した判断(客観的な第三者の判断を得るよう求める)
    • 競争(コンフリクトが生産性を脅かす利益相反を削除するために、会社に自分たちにインセンティブを与えるような、競争的プレッシャーを課す)
    • ルールとポリシー(潜在的な利益相反が実際の利益相反に進化することを妨げる、本質的に組織的な(institutional)解決策を含む)
    • 構造変化(会計事務所において、監査とコンサルティングの機能を分けるような、利益相反をより起こりにくするための施行をなす方法。)
  • このリストが賢明である(make sense)のひとつの理由は、「客観性」や「開示」というような一見すると単純な戦略のようなものでさえ、利益相反の状況にある個人が適切に履行できるかどうか(implement)が、経験的に明らかになるからである。
    • たとえば、開示は役に立たないかもしれない、ということが、経験的な研究によって示唆されている。(Cain et al.等)
      • 彼らの研究では、(1)利益相反の状況を開示したとしても、専門家のクライアントはその情報を有効につかえない、(2)開示を行う方が専門家はバイアスのかかった判断をしやすい、等のことが示唆されているのである。
  • ただし、こうした経験的な証拠はどれほど中間レベルの対処には役立とうとも、これらは限界と欠点を持つ。
    • たとえば、(1)結果のみにフォーカスしすぎること、(2)分析性や定義的な話を曖昧にしたまま実験を行うこと、が指摘できる研究がある。
  • しかしながら、こうした制限にもかかわらず、これらの経験的な研究は、組織レベルの利益相反の規範を設計する上で非常に役立ちうる。

利益相反のマクロレベルのポリティカル理論にむけて (pp. 459-)

  • 私たちは利益相反のこれまでの議論と、今後の展開を見てきた。
  • マクロレベルの問いは、一般的に想定されている専門家集団(または独立した組織の倫理規定)が、自らのそうした利益相反の規範を特権化されているのかが問題となるだろう。
    • 専門職の自律の度合いを下げ利益相反の規制を強めるのか、あるいはこうした規制がコストに見合わないと考え、ある程度のリスクを取るのか、近年はこうした議論も行われつつある。
    • しかし、これらの問いはマクロレベルの利益相反の問いとして、答えられ、正当化されねばならないのである。
  • 利益相反のマクロレベルの問いの重要性について考えるもう一つの方法は、歴史的な視野の問いに取り組むことである。
    • この[利益相反という]―職業家と公的サービス、ほとんどの企業行為規律(codes of conduct)において、現在絶対的に中心的である―道徳的カテゴリーが、第二次世界大戦以前には、ただ漠然かつ不完全にしか理解されていなかったという事態がどうじて生じているのか。私たちは既に部分的な解答を与えてきた。:私たちが現在「利益相反の状況」と呼ぶものにおける、道徳的に適切な観点のアドバイスは、「コンフリクトを抱えている」個人が誘惑に抵抗し、客観性を保ち、彼や彼女の義務を実行するよう教示することであると、より伝統的な思想の学派には考える傾向があった(inclined)。私たちが現在認識することは、この反応がナイーブであるということである。:コンフリクトを抱えている個人は、自身が利益相反の影響に対し「正しく」あるのにベストをつくそうとする場合でさえ、彼らの判断を干渉されるのである[...]。しかし、利益相反の概念の「発見」や、過去の半世紀にわたる私たちの倫理的思考におけるその占有を、この反応が説明するものではないと、私たちは信じている。そのような説明は、いまだ、仕事を行うときのミクロ倫理的な視点にフォーカスしすぎている。*2

    • ボートライトとデイビスの両者は、さらなる補足的説明として、より中間レベルの倫理的パースペクティブを採用しはじめた説明を提供している。[利益相反という]用語と概念の両者がそれらの見かけほどなぜ目新しいのかという問いに対して、私たちは未だ「権威のある答えを持たない」とデイビスは認める。彼は続ける。「現在利用可能な最善の説明は、
      主人と従者の永続的な個人的関係が、自由市場と大都市、大産業によって特徴づけられるより簡潔な遭遇へと、置き換わったことのように見える。私たちは現在、他者の判断にはるかに依存しており、彼らの決定に次ぐ決定の判断を評価する能力が、はるかに減少している。そして実際、一般的に私たちがこれらの個人について知っていることは、たったの50年前に人々が持っていたであろう知識にくらべて、はるかに少ない。」*3

    • しかしながら、これが利益相反についての全ての説明ではない。デイビスの説明は、利益相反の概念の戦後における急速な広まりを説明しないし、彼の言及するこのトレンド自体も産業革命の時代からあったものである。
      • ボートライトもまた、利益相反という概念の出現と流行は、「推測を呼ぶ」ものであり、この推測への彼の反応は、デイヴィスによって先ほど示された部分をより詳細にするものであるとして、見ることができると考えている。 * >「社会は信託者や行為者に非常に依存的になった。特に、職業家であると同時に、市場の力が彼らの活動においてより大きな役割を担わせる人々に対して、その依存は顕著である。資金的なインセンティブに基礎を持つ市場経済において、職業家―特に、医療、法、会計ーがだんだんと開業されはじめた時に、この発展の便益と損害の両方が認識された。便益を享受するためには、潜在的な損害の源泉を特定する概念を開発し、損害のある帰結を減少させる手段を考案することが必要だったのである。」*4

    • このボートライトの考察は、組織の設計や規制というより大きな問題を強調する点でより妥当だろう。
      • ボートライトの説明では、利益相反の概念は、クライアントに対して専門家が持つ道徳的な責務をよりよく理解するための方法ではない(Davisの説明はそう読めた)。そうではなくむしろ、合法化と規制の方法として、発達した市場経済において財やサービスを供給するための、より効果的で公正な方法として、ボートライトは利益相反の概念を考えている。
    • しかし、ボートライトによる思索的な考察も不十分である。それは暗黙裡に、専門的なサービスの買い手の個人的な権利を過度に強調しているからである。
      • 「利益相反の何が悪いのか?」に対する彼の答えを検討してみよう。彼は言う。道徳的な誤りは、「単純である:利益相反の状況にある個人は--受託者であれ、エージェントであれ、専門家であれ--ある義務を遂行するのに失敗したのである。その義務とは、その人が契約(engagement)と、たいていは報酬をそのために受けると認めた、そんな義務である*5」と。これは大抵は正しいのだが、利益相反の状況にありながら、自分の義務を遂行することも可能であるので、正確な答えであるとは言えない。
  • しかし、それ[専門職に想定された義務の不履行]が全ての話である訳ではないし、私たちが今日そのように重要な強調を利益相反に置く全ての理由ではない。
    • 彼ら[職業家集団など]が[利益相反を]重視するのは、個人が彼らの構成員によって損害を与えられることを怖れるからだけではなく、彼らが、クライアントや公共全体からの信頼(trust)の評価に、決定的に頼っているためである。
    • 手短に言うと、専門家や組織が利益相反に関心を持つのは、彼らがクライアントを重視するためだけではない。さらに、彼らがが彼ら自身に関心を持ち、自分たちが効果的にそして生産的に業務を行い続ける能力に関心を持つために、職業家と組織は利益相反を重視するのだ。職業家と政府、非政府組織、そして多くの種類の企業のまさに正統性(legitimacy)は、信頼に依存している。信頼無しでは、彼らの地位は取り去られるかもしれない。もしくは、信頼無しでは、彼らが効果的に彼らの使命を実行する能力が妥協させられるかもしれない。
    • そして、利益相反は―たとえ誤認されたり、見かけ上の利益相反であっても―信頼を腐食するのである。*6

  • 主要な社会的・政治的組織が利益相反を、それを減らし管理する自分たちの組織の利益の観点から、どのように見るようになったか、を私たちは理解しはじめてきた。それによってはじめて、私たちその概念が生じたときに、なぜそれが生じるのかの理由をより十分に理解することができる。
    • デイヴィスとボートライトの基本的な説明は、戦後世界における公共の(public)組織の利益相反に対する、同時期的な外見と、関心の傑出に対して、沈黙を守ったままなのである。*7

    • 利益相反について語るためには、社会の民主化が以下の方法で民主化し、社会の様々な分野に対する公共の監視が進展した点に触れなければならない。
      • 戦後に特徴的な利益相反の状況の増加は、政府のサイズと役割の爆発的増加、そして巨大な国家的組織によって影響を人々の生活が影響を受ける機会の爆発的増加と、一致している。
      • これはまた、特権の濫用や汚職の微かな残り家でさえ、社会に公表するマスメディア(今ではインターネットを含む)の急成長とも軌を一にしている。
      • さらに、歴史上初めて、すべての分野の組織が著しく規制されるようになった。
      • だから、民間も、NGOも、公務員も、専門家も、みな、公共によってなされる監視と規制に注意深くなったのである。
  • 利益相反が職業的または専門的サービスの個人的なクライアントにどれほど害をもたらしたとしても、利益相反が社会的、政治的、経済的な大規模な組織に課す脅威を理解することなしでは、私たちが、利益相反という規範的なカテゴリーの近年の出現と流行を十分に評価することはできない。 * いまこそ、マクロレベルの政治的な理論からも、利益相反の規範に取り組む時なのである。

結論 (pp. 464-)

私たちはミクロレベルの利益相反の問いから、マクロレベルの問いまでの移り変わりを確認してきた。

*1:p.455

*2:Ibid., p.461-462.

*3:Ibid., p.462.

*4:Ibid., p.462.

*5:訳が上手くいかない。"..., one for which he or she has accepted an engagement and, usually, compensation".

*6:Ibid., p.463

*7:Ibid., p.463