Davis(1982) 利益相反

Davis, M. (1982). Conflict of Interest. Business and Professional Ethics Journal, 1, 17–27.

イントロ

5年前、Joseph Margolisは利益相反(conflict of interest)についての論文をある観察とともにはじめた。:

利益相反の観念は道徳的・法的制限の本性を検討するほとんどの試みにおいて、特に無視されてきた。ある分析を提供しようと試みる際には、それゆえ、私たちは比較的新しい土地を掘っているのである。*1

  • しかしながら、Margolisが実際に新しい土地を掘ったとは言い難い。
    • 彼は確かにビジネス倫理や職業倫理においては新しい土地を掘ったように見えるかもしれない。
    • しかし、もし法的倫理(legal ethics)の特別な研究を検討すれば、彼は決して新しい土地を掘った訳ではないことが分かるはずだ。

      法的倫理はずっと以前に利益相反を、専門職の判断の信頼を傷つける(undermine)する傾向にある状況として理解してきた。法的倫理の分析は、私が思うにこれらの弁護士(lawyer)が直面する状況のみならず他の状況もカバーさせるために簡単に一般化することが可能である。...この分析は重要な仕方で[Margolisの分析]と異なっている。なぜなら、それは利益相反を、諸役割の間の衝突(conflict)に利益相反を関連させるのではなく、ある役割内の信頼を傷つけられた判断に利益相反を関連させているからである。;そしてこの分析は顕著により優れたものである。なぜなら、この分析は利益相反の状況と一般的には考えられていない状況に利益相反を割り当てることと、そうした割当を避けるために、数多くの多かれ少なかれアド・ホックな制限を基本的分析に帰属させることをを要請しない(Margolisは彼の分析がそれを要請すると認めている)からである。

    • 本稿では、少なくともそれを示すつもりなのである。
  • 私は最初に、「法律家の分析」と私の呼ぶものを述べる。
    • 次に、それをビジネス倫理・職業倫理一般に適合するように一般化する。
    • 最後に、ビジネス倫理と職業倫理において研究をなすもにに対する興味深い教訓をこのエクササイズから導き出そう。

I. 弁護士の分析

  • 弁護士の分析は、多くの著作があるが、アメリカ法曹協会(American Bar Association)の専門職の責任の規則(Code of Professional Responsibity)に見ることができる。この分析の規則の言明は、あまりとりわけ優れたもの(subtle)でもないが、私たちがここで必要とする全てである。
  • この規則は、利益相反を、a)比較的公式(formal)な(保持者のいる)ひとつの役割である、誰かの弁護士であるという役割と、b)その役割において適切に(properly)振る舞うのを干渉する傾向のある利益、というふたつの役割を要請するものとして解釈している。この規則は、弁護士の役割を、「法の限界のなかで、クライアントの利益のみのために、影響と忠誠に妥協を強いることから自由である、専門職の判断」*2を行使するものとして解釈している。強調は、その役割における弁護士の判断についてである。弁護士の専門職の判断は「独立した」(independent)でなければならない。弁護士は彼の法的訓練、知識、賢明さを十分に彼のクライアントに対して約束(commit)することができなければならない(法とクライアントがされてほしいと求めるものの制限のうちで)。この分析を詳細に考察しよう。
  • 残省略。

規則の実際に言っていることは、弁護士は独立した専門職の判断を提供した方がよい(should)一方、彼は少なくともクライアントが彼に置いた信頼を裏切ってはならない(must)、ということである。

  • 弁護士は、潜在的であれ顕在的にであれ利益相反を持つ場合には、彼は与えられた雇用を辞退するか(こちらはMargolisの推奨である)、あるいは、クライアントに弁護士である自身が適切な判断を行使するには信頼できないと知らせるか(Marglisが考慮しなかった選択肢である)、どちらかをせねばならない。

開示と同意は衝突を終わらせることはできない(なぜなら開示と同意が判断をより信用できるもの(reliable)にはできないためである)。しかし、それらは自動的な(automatic)裏切りを防ぐことはできる(なぜならそれらはクライアントに彼の信用(reliance)を状況に適合させるために調整することを可能とするためである)。

II. 弁護士の分析を一般化する

  • 弁護士の分析はここまででよいだろう。この分析を暫定的に一般化しよう。
  1. ある人が利益相反を持つのは以下の場合である。a)彼が他の人と、その相手のサービスにおいて彼の判断を行使することを要請する関係性にあり、さらにb)その関係性において適切な判断の実行をさまたげる傾向のある利益を、彼が持つ、そんな場合である。
  • ここから名辞名辞ごとに、何を含意するかを検討していこう。そうすれば、利益相反の概念の十分な形式化が最後には可能となるだろう。
  • この一般化された分析では、「役割」という後がなくなり、「関係性」(relationship)という語のみになっている。これは偶然ではない。利益相反は伝統的な役割ではなくとも生じうるからだ。たとえば、あなたがショーに参加する牛を私に預ける場合に、実は私もそのショーに牛を出品するとしたらどうか。私があなたにそのことを知らせずに牛を引き受けたら、私はあなたの牛の面倒を十分に見ないかもしれない。私の利益は、その他の場合と比べて、私の判断をあまり信頼可能でないようにするだろう。
  • 役割という語はこの分析には表れないが、判断の行使する関係性に着目すれば、柔軟に用いることができる。「役割」ではなく、「判断」こそが重要な名辞なのである。
  • 何が判断なのだろうか? 私たちの現在の目的のためには、判断は以下のものとして考えられることができる。それは、単調な作業としてではなく、決定を正しくなす能力として考えられる。銀行の頭取が横領をするかどうかは判断ではないし、警官がスピード違反の切符を切るかどうかも判断ではない。議員がある法律に投票するかどうかを決定する時などには判断が必要である。こうした人には、そうした問いを決定する義務を負う状況にあり、利益相反の影響を受ける(subject)のである。
  • 何が判断であるかはある程度曖昧な問題である。
  • 判断の適切さとは何だろうか。
    • 役割に応じて、何が適切かが決まっている職業もある(弁護士等)。しかしながら、多くの役割においてはそれは曖昧である。
    • それでも、ある役割は定義される限り、それは弁護士と同じくらい確かにある期待(expectation)を正当化するだろう。
    • 私たちの現在の役割としては、判断において適切なものは、ちょうど、通常その役割の人に期待されているものであり、特別な合意や、現行の週間、ルール等によって正当化されているような期待である、とすればよいだろう。
  • 「判断」が重要であるため、「利益」という名辞にはそれほど関わる必要はない。「利益」は、判断をあまり信頼できないようにする、忠誠や、関心、感情のようなすべてのものを幅広く含むように解釈されうる。
    • それゆえ、道徳的な良心でさえ、以下のようなあまり通常ではないケースでは、利益である場合がある。たとえば、悪である振る舞い方を教えるように期待されるマキャベリが良心に打たれた場合があったとしたら、彼のアドバイスは信頼できなくなるので、彼はアドバイスを差し控えねばならないかもしれない。
  • さて、こうした観察をもとに一般化された分析を提示してみよう。

II. ある人物P1が役割Rにおいて利益相反を持つのは以下のような場合、その場合のみである。
a. P1がRに従事している(occupy):
b. Rがある問いQに関する(有能な)判断の行使を要請する。
c. Rに従事するある人は、Qに関する相手に対するそのサービスにおいて行使されるその職業の判断を、相手が信頼する(rely)ことを正当化する。
d. P1がRに従事するため、人物P2はQに関するRにおけるP1の判断を信頼することが正当化されている。
e. P1は(実際に、潜伏的に(latently)、または潜在的に)、P1のQに関するRにおけるP1の(有能な)判断を、P2に利益を与える可能性をより小さいものに変えてしまうような、そんな影響、忠誠、誘惑や、その他の利益の影響を受けやい状態にある。その程度は、P1が従事するRがP2に期待することを正当化する程度以下にしてしまう、そんな程度である。

  • この定式化IIから、以下の3つの帰結が引き出されうる。
  • 定式化IIのもとでは、利益相反は十全な開示とP2の同意の後にでさえ続くかもしれない。それが続くかどうかは、役割がどのように定義されるかに左右される。P2のP1に対する実際の期待ではなく、P2がP1の職業のためにP1に期待するのが正当化されているものが、衝突が存在しているかどうかを決定するものである。P1は開示したり同意を得ることによって、Rが期待するべく正当化されているものを変えることはできない。
  • 定式化IIは、利益相反が回避可能(avoidable)であることを明示的には要請していない。これがそうしないは、衝突の中には回避可能であるようには思われないものもあるからである。利益相反は私たちがそれを知る前から、私たちに生じている場合がある。上院議員の息子が彼女の事務所に就職しようとする場合には、彼女はどんな行為をすることなしに自動的に利益相反の状況にいたっている。
  • 定式化IIは、利益相反が逃避可能(escapable)であることを明示的には要請していない。そのため、Margolisの主張したように、利益相反を終わらせるためにある判断を受ける地位から退くという選択肢を残している。

  • しかしながら、この分析のもとでは、単なる「衝突する諸利益」(conflicting interests)というMargolisの主要な例が、逃避不可能な利益相反であるように思われるかもしれない。しかしながら、衝突する諸利益では、ルーティーン的ではない判断の要素がないため、これは利益相反とは異なる。アンティゴネの悲劇のような、義務の衝突は回避不能であるが、利益相反とは異なるのである。

III. 結論

  • Margolisの論文は重要であるが多くの欠陥を持つものであった。こうした欠陥は、現在勃興中のビジネス倫理・職業倫理の領域における理論的な弱点を示唆するものであり、ひとつの教訓となるだろう。利益相反では法的倫理という隣接領域から学んだが、このように他の領域から学べることも多いはずである。

*1:原注1. Joseph Margolis, "Conflict of Interest and Conlicting Interests", in Ethical Theory and Business, ed. by Tom L. Beauchamp and NOrman B. Bowie (Englewood Cliffs, NJ: Prentice-Hall, Inc., 1979), p.361.

*2:原注3. American Bar Association, Code of Professional Responsibility(Chicago: National Center for Professional Responsibility, 1980), EC 5-1.