Davis (2001)何が利益相反でないか

Conflict of Interest in the Professions (Practical and Professional Ethics)

Conflict of Interest in the Professions (Practical and Professional Ethics)

利益相反についての誤解 (pp.15-)

  • 不偏性、独立性、客観性は利益相反とゆるい関係しか持たない。
  • 忠実(loyal)であっても利益相反が残る場合がある。たとえば、利益相反を開示した後では彼女はもはや不忠実(disloyal)ではない。しかしそれでも、利益相反は残っており、彼女の判断は信頼できるものでもない。
  • また、利益相反を持つ事抜きで、人は不忠実であることが可能である。強欲から雇用主のもとからあなたが金を横領する場合、あなたは不忠実である。
    • あなたの強欲は確かにあなたの雇用主の利益と相反するものであるが、利益相反はあなたが金を盗んだのがなぜか、または、金を盗むことの何が誤っているのかを、説明しない。あなたの雇用主の金を横領すべきでないということを知るために、あなたは雇用主の代理において判断を行使する必要がなかった:「横領するな」は常識の一部である。ここでは諸利益の相反(a conflict of interests)、つまり、あなたの利益とあなたの雇用主の利益のひとつの対立があるが、利益相反は生じていないのである。相反する諸利益が必然的に利益相反を構成する訳ではないのである。

  • 標準的な見解では、利益相反は、利益ではないコミットメントや役割間の相反とも異なる。同じ時間に両立不可能な約束をすることは、利益相反とは異なる。
  • しかしながら、私は私の息子のサッカーの試合のレフェリーをつとめなければならないのなら、利益相反を持つだろう。私の息子がファウルをおかしたときを判定する見知らぬ人よりも、私はそれを困難だと思うだろう。(結局、よい父であることの位置部は私自身の子どもを偏愛する傾向あるのだ)。…私が知っていることは、汚れた計器の目盛りのように、「きれいな計器の目盛り」ほど頼りになるものではありえない、ということである。

  • 同じことが、私が嫌いな選手がいるチームの侵犯をする場合にも当てはまる。
    • 利益相反は、諸役割の相反を要請しない:ひとつの役割(審判)とひとつの利益(ある選手への嫌悪)は、利益相反のために十分である。(標準的な見解では)利益相反は役割やコミットメント間の衝突ではなく、人の役割やコミットメントと何らかの利益の間の衝突なのである。
  • 実は、利益相反という用語は、たったの半世紀ほどの歴史しかない(おそらくは概念も)。この用語の最初の哲学的な議論は、1970年代のはじめまで、また遡る。
  • 「利益相反」は「相反する諸利益」の単なる変数として始まったようだ。こちらの「相反する諸利益」という古い名辞は、公共の利益(たとえば管財人や受託者における不偏性)と、何らかの私的な「利得的」(beneficial)または「金銭的」(pecuniary)利益(たとえば彼の管理する財産の清算における競売で、資産を買おうとする受託者の希望)の衝突をあらわしていた。私的な利益は公共の利益「不都合な」(adverse)なものであるとしばしば言われていた。

  • BordenとPritchardの分析は不十分である。
  • 利益相反は非常に新しい用語であるが、これがなぜここまで広まったのかははっきり分かっていないし、その歴史もまだ書かれていない。都市化や専門職への依存の進展が候補として挙げられる。利益相反についてのルールは、こうした依存のリスクのシステマティックな防衛のひとつである。
  • 「一見した所の(apparent)利益相反」も基本的には不必要な誤解である。
  • しかし、その外見は問題含みではあり、管理される必要はある。