Price(2014) Hareの命令文の論理

Price, A. (2014). Richard Mervyn Hare. In The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Winter 2016). Metaphysics Research Lab, Stanford University. (First published in 2014)https://plato.stanford.edu/archives/win2016/entries/hare/

3. 命令の論理

  • Hareの命令文の論理を基礎づけようとする試みは、革新的であったが問題含みであった。
    • ひとつの不確実性はその研究領域についてである。
    • 彼が想定するのは、命令(command)、指示(order)、教示(instruction)、助言を与えること(givings of advice)にわたる、するように言う(tellling to)という–欲求や意図を形成する–類(genus)があるということである。これらは、情報を伝達し、信念や知識の状態を表出するということを言う(telling that)と対比される適合の方向性(direction of fit)あるいは一致の義務(onus of match)を共有する点において、同じものに属している。
    • 大雑把に言うと、もし私がpであるということをあなたに言い、そしてpが偽であるなら、その場合、どちらかと言うと私の発話こそが順序から外れている(out of order); 一方、もし私があなたにXをするように言い、そしてあなたがXをしなければ、その場合、どちらかとう言うとあなたの行為こそが秩序から外れている。
    • 一般的なアイディアは以下である。もし私があなたにpということを言えば、私たちの間でpがqを導出する(entail)ということが私たちの間で共有する知識である場合、私はqということをあなたに潜在的に(implicitly)言っている。これとちょうど同様に、もし私があなたにXをすりょうに言えば、私はあなたにYをするように潜在的に言っている。私たちがお互いに知っているものが–まあ、これは決定される必要があるものだが–である場合である。
  • 潜在的な指令(implicitly prescribing)の観念が、どんな命令文の論理を決定するのにも失敗してしまうのは間違いない。Hareの研究の後の論文は、様々な問題の場合に焦点をあてている。ここで、私はこれらの内3つを考察しよう。それらの全てが、Hareによって提案されたか、提案されることが可能であるような、可能な解決法を認めるものである。

(1) ロスのパラドックスについて*1

  • 最も単純な例は命令文にのみ関わる。これらは、単純な考えを誘うかもしれない。その考えとは、ひとつの命令文がもうひとつの命令文を導出するのが、2番目の命令文もまた充足される(satisfied)こと無しで1番目の命令文が充足されることができない場合である、ということである(Hareはこれを「充足の論理」として同定した(参照))。これは、以下の場合においてもっともらしく見える。
(A)  Do X and Y.
     So, do X.

しかしながら、こちらはあまりもっともらしくないように見えるかもしれない。

(B)  Do X.
     So, Do X or Y.
  • (Hare(1967)は後者の例を「手紙を投函しなさい;だから、手紙を投函しなさい、あるいは、それを燃やしなさい」という事例として分析している)
  • しかし、(A)において、結論が満たされること無しで前提が満たされることができないということがシンであるように、(B)においてもそれは等しく真である。さらに、対偶と置換(substitution)により、(B)は(A)から導かれることができる。もし(A)が妥当なら、©も同じように妥当であるべきである。
(C)  Don't do X.
     So, don't (do X and Y)
     So, do not X or not Y.
  • その場合、私たちは"do"によって"don’t"を置き換えるだけで、私たちは(B)を持つことになる。
  • Williams(1962)は、(B)の結論が「許可的な予想」(permissive presupposision)をもたらすという根拠から、(B)が妥当でないと判断した。Hareは、許可が、"Do X"という前提によって定義される文脈によってキャンセルされる会話的な含意(conversational implicature)の根拠から、それを擁護した。しかし、(A)でさえ、その見かけほど妥当ではない。この例を考えてみよう(これはBob Haleからの事例である):
(D)  Light the fuse and step back three paces.
     So, light the fuse.
  • 結論がその前提において司令されているものの部分であることは確かに真である。
    • しかし、私は誰かにフーズに点火するよう言うことをためらうかもしれない。以下のような場合では。彼の熱中しやすい傾向を考慮すると、彼が最も行いそうなのは、もし彼がフューズに点火したら、後ろにさがることをおぼえていないだろうということである、ということを、私が知っている場合では。
    • そして、私がある人に対し、するよう顕在的に(explicitly)言うのが嫌であるだろうようなあることを、するようにその人に潜在的に言うことが、どのように可能になるだろうか?
  • しかしながら、また、Hareは恐らく次のように言うことができるだろう。、聞き手がフューズに添加することに集中すべきであるという、導出された"Light the fuse"において潜在的である、何らかの示唆が、彼が後ろにさがるという最初の教示によって、文脈において修正されている、と彼は述べることができるだろう。

(2) 混合推論

  • 新しい問題が生じるのは、命令文だけでなく直接法文がかかわる混合推論を私たちが考える時である。
  • これらに対して充足の論理を拡大する最も単純な方法は、次のような規則によってである:前提のセットが結論を導出するのは、結論が真であるか(直接法文の場合)充足されるか(命令文の場合)する事抜きで、前提もまた真でありえないまたは充足されることがありえない、そんな場合である。
    • しかしながら、私たちはまた、命令文の結論が、純粋な直接法文の前提からは導かれることができない、というある事例(既にHare(1952)において述べられていた)を含む、制限的な規則を私たちは必要とする–しかし、それは疑いようもなく単純過ぎる。
  • 以下の事例を考慮してみよう。この事例はある意図から別の意図にいたる推論にかかわっている。Hareが自分に割り当てられた(self-adressed)意図を命令文であらわしていたことを考慮し、私たちは以下の推論を考えることができる。
(E)  Let me make a cloak.
     If I make a cloak, I must do such-and-such.
     So, let me do such-and-such.

ここでは、もし二番目の前提が真であれば、結論も充足されること抜きで最初の前提は充足されることができない。;だから、推論は充足の論理を進むことができる。

(F)  Let me get drunk.
     Whoever gets drunk is bound to have a hangover.
     So, let me have a hangover.

Hareはこれら全てに何を言うだろうか? 彼ができる応答は、自分に割り当てられた命令文が意図を表出しうる一方、それは失敗しうるものであるということ、そして、これは指令の論理に全く制限をかけるものではないということである。もし私が、酔っ払うことが二日酔いを引き起こすことを知りながら、誰かに酔っ払うように言えば、私は、たとえこれを意図すること抜きでも、彼が二日酔いを持つように言っている

(3)条件文の区別

  • 私たちの全てが直面する問題は、2つの条件的命令文を調和させる方法である(事例はPrice 2008である。Hare自身もこの条件文は1968年の議論において検討している)。
(a)  If you want to get drunk every evening, you should work in a bar.
(b)  If you want to get drunk every evening, you shouldn't work in a bar.
  • これらの2文は矛盾であるように見えるが、不整合である必要はない:
    • (a)は、バーで働くことがあなたが毎晩酔っ払うことができる唯一の方法である、という点で、真であるかもしれない;
    • (b)は、以下の点で真であるかもしれない。あなたが弱い意志のせいでアルコール中毒になる恐れがあることを考慮すれば、バーで働かないことが、あなたの健康を維持するための必要条件であるという点である(あなたの健康は、あなたが大変関心を持っている(are)ことか、あなたが関心を持つべき(ought)ことかのどちらかである)。
  • 私たちは、後件を切り離す方法を問うことによって、もっとも明確に(a)と(b)を区別することができる。これは、(b)の場合には、まっすぐにすすむ(straightforward)
    • :人は、(b)から、"You (do) want to get drunk every evening"を主張することによって、"You shouldn’t work in a bar"を切り離すことができる。
    • しかし、私たちはどのうように(a)の後件を切り離すことができるのだろうか。
  • ひとつの解答は、ひとが切り離すことができないというものである。もうひとつの別の解答は、ひとはたしかに切り離すことができるが、それが可能なのは、"You should work in a bar"という後件を非常に限定的(qualified)で文脈的(contextualized)な意味においてである
    • ;それゆえ、人は"You should work in a bar"を言うことができるかもしれないが、それが可能なのは、"should"が含意する(connote)適合性(fittingness)が、該当の目標(goal)に対する関係において(in relation to)存在する場合のみである。
    • (だから、もちろん、バーで働くことのどんな推奨も導かれない。)
  • しかしながら、Hareは自分自身に大胆な解決策の余地を認めている。
    • 彼は、"you want to get drunk every evening"という節が(a)と(b)で異なる意味を持つと考える。
    • (a)では、あなたに欲求を割り当てる埋め込まれた直接法こそが、なぜ"You want to get drunk every evening"と主張することによって後件が切り離されるかの、理由である。
    • (b)では、ある埋め込まれた命令文こそが、あなたに毎晩酔っ払わせるよう助言するのにその文単独で役立つのである
    • ;それゆえ、後件は切り離されるが、それは"Get drunk every evening"を指令することによってのみなのである。
  • この場合、論理は本質的には、上記の(E)の論理と同じである。
 Get drunk every evening.
    To get drunk every evening, you must work in a bar.
    So, work in a bar.
  • これは、正当な論理的操作によって、以下のような書き直しを引き起こす。
 To get drunk every evening, you must work in a bar.
    So, if get drunk every morning, work in a bar.
  • しかしながら、文法は命令法のあとに続く「もし」を除外するので、前件における「あなたが望む」という語の特別な使用によってそれは置き換えられているのである。
  • これは、Hareにとって便利であるだけではなく問題含みであるように思われるかもしれない
    • :これは、どんな命令文の結論も、命令文を含まない前提から導かれないという単純な–もしかしたら単純過ぎる–規則を壊すことにならないのだろうか?
    • しかし、ここではその単純な規則が適用を欠如している
      • ;というのは、結論における最大のスコープを持つ演算子は"if"であり、命令文ではないためである。
  • もちろん、Hareによるこの提案は、実践的な"ought"(および"must")の指令主義的な分析に対する最も深刻な反論で常に有り続けたものを、顕著にしてしまうだろう。
    • :その反論とは、道徳的な判断は命令文を導出することができない、というものである。
    • ;なぜなら、道徳的判断の内容は(条件文を形成する)“if"節や(信念や主張の内容を与える)"that"節のような、様々な文脈において埋め込まれて(embeded)生起するが、一方で命令文は生起することができないためである。この反論は、Peter Geachによって、Gottlob Fregeを引用する論文において強力になされた。
    • ; だから、それは「フレーゲ・ギーチ」反論として知られるようになった。
  • Hareの対応は、Hare(1970)において発見される。彼のこの問題に対する解決策は、Gilbert Ryle(1950)の「推論的チケット」(inferential tickets)を用いるものだった。
    • “If get drunk every evening, work in a bar"という準-英語(quasi-English)の役割は、毎晩酔っ払おうとする何らかの指令から(out of)、バーで働こうとする潜在的な指令を、産出することにある。
    • (a)のある発話者(utterer)を何を彼が仮定しているか(hypothesize)、それが何に寄って真となりうるかについてしつこくせまることは、それゆえ、場違いなのである。
    • 複雑な構造を持つ真理値適切な(truth-aput)な命題のように見えたものは、本当はかなり異なった役割を演じているのである
    • :それは命題ではなく、ある種の規則(rule)なのである。
  • Hare(1989)はさらに、発話行為の表現の中の2つの要素の間に区別をなすことによって、埋め込まれた命令文のパラドックスを解決しようと望んだ:
    • ある話し手が"Do X"と言い、それによって聞き手にXをさせようと言っているとき、彼は命令(command)のコミュニケーションに適した命令法の文を発すること、および、彼がそれを用いることをそのように意図しているということを示す(indicate)ことの、両方を行っている。
    • 彼は、最初のサインを"tropic“あるいは叙法のサインと呼ぶ
      • ; これはneusticあるいは署名(subscription)のサイン(Fregeの主張記号)と区別されるべきものである。
    • 英語において"If you want to do X"によって表されるように、Do X"が条件文の前件に埋め込まれる時には、neusticは消えるがtropicは残っているのである。
    • これが、"Do X"という命令文こそが後件を解放する一方で"You are about to do X"という直接法文はそうしない理由である。
  • 間接的な発話における道徳的述語の生起に関してはHareは異なる困難に直面し、彼の解答はかなり明確ではない。本質的には同じ問題であるものを解決するために、多くの試行がそれ以来なされてきた。
    • 物事を記述することや、物事が存在する方法(the way things are)についての信念の可能な内容を提示するという実質的な意味において、道徳判断が真理値-適切的であることを否定する、どんな道徳判断についての見解においても、同じ種類の問題は生ずるのである。これらの試行については、確かに洗練の度合いについては増したが、そのもっともらしさにおいては縮んでいると言ってもよいかもしれない。

*1:原文にはこの小項目の部分が無いので、この小項目とそのタイトルは勝手にchamkが付けたものです。以下同様。