Edgington (2014) 条件的非平叙文について

Edgington, D. (2014). Indicative Conditionals. In The Stanford Encyclopedia of Philosophy (Winter 2014). Metaphysics Research Lab, Stanford University. https://plato.stanford.edu/archives/win2014/entries/conditionals/

5. その他の条件的発話行為および命題的態度

  • 私たちが確認してきた条件文の理論のうちどれが、以下の他の種類の条件文に拡張できるだろうか。条件的信念だけでなく、条件的欲求、条件的恐れ等もある。条件的言明だけでなく、条件的命令や条件的約束、条件的提案、条件的質問等もある。「もし彼が電話するなら」は「もし彼が電話するなら、私はなんと言おうか」“If he calls, what shall I say?”や「もし彼が電話するなら、私は外出していると彼に伝えなさい」“If he calls, what shall I say?”、「もし彼が電話するなら、マリーは喜ぶだろう」“If he calls, Mary will be pleased”の全てにおいて、同じ役割を担っている。

条件的命令

サップの理論

  • BでないよりもBである見込みがある(more likely to)と人が考える程度に、その人はBを信じている;サップによれば、Aということの想定のもとでBであるということを信じる程度に、つまり、A&~BよりもA&Bにより見込みがあると人が考える程度に、人はAならBであるということを信じている。;そして、単に人がA&BがA&~Bよりも見込みがあると信じるちょうどその程度において、~XよりもXに見込みのあると人が信じなければならないような、命題Xというものはない。条件的欲求は、条件的信念のように見える:Bを欲求することは、~BよりもBを選好することである;AならBということを欲求することは、A&~BよりもA&Bを先行するということである;そして、単に人がA&BがA&~Bよりも選好するちょうどその程度において、~XよりもXを人が先行しなければばならないような、命題Xというものはない。
    • 例文。私は大会に参加し、私の持つ勝利の機会は非常に小さい。もし私が受賞すれば(W)、あなたがフレッドにすぐに伝える(T)ということへの欲求を私は表現する(express)。私はW&TよりもW&~Tを選好している。~(W ⊃ T)よりも(W ⊃ T)を私は必ずしも選好していない、つまり、W&~Tよりも(~W or W&T)を私は必ずしも先行していない。というのは、もし私が受賞することをまた望んでおり、そしてさらに、(~W or W&T)が真である最も見込みのある方法は、私が受賞しないことだからである。もし私が受賞しないが私の受賞する最近接可能世界においてあなたがフレッドにすぐそれを伝えるとしても、私の条件的欲求も満たされない。
  • AならBということを私が信じるなら、つまり(サップによれば)A&~BよりもA&Bにはるかにみこみがあると私が考えるなら、このことは私をBへの条件的コミットメントをなす立場に至らせる。:つまり、Aの条件的に、Bを主張する(assert)こと[という条件的コミットメントに私は至る]。Aが真であることが分かれば、私の条件的主張はBの主張の効力(force)を持つのである。もしAが偽であるなら、私の主張した命題はない。しかしながら、私は確かに条件的信念を表現している–それは私が何も言っていないかのようであるかではない。
    • 例文。「もしそのスイッチをあなたが押すなら、爆発があるだろう」“If you press that switch, there will be an explosion"と私が言い、私の聞き手が後件の条件的主張を私がなしたと考えているとしよう。この後件とは、彼女がボタンを押せば、後件の主張の効力が持つものであった。私が信頼に値し信用できると彼女が考えるなら、もし彼女がスイッチを押せば後件は真である見込みがあると彼女は考えるだろう。つまり、彼女がそれを押せば、爆発があると考える理由を彼女は獲得している。;それゆえ、ボタンを押さない理由を彼女は獲得している。

フックの理論

  • 条件的命令は、同様に、前件が真である条件で、後件の命令の効力を持つものとして、解釈されうる。
    • 例文。医者が緊急病棟にて医者が看護師に対して言う、「もし患者が朝にまだ生きていたら、包帯を換えなさい」“If the patient is still alive in the morning, change the dressing”と。
    • フックの理論では、この命令は「患者が朝になって生きていない、あるいは、あなたが包帯を換えるか、これらのどちらかが真となるようにしなさい」“Make it the case that either the patient is not alive in the morning, or you change the dressing”と同値である。看護師が患者を殺したとしても、看護師は医者の命令に従ったことになるのだろうか。
    • Jacksonの理論では、選言的な命令に加えて、医者は患者が生きていることを知ったとしても彼女が依然としてそれを命じているだろうことを示した、とされる。これは問題を解決するものではない。看護師は医者が反事実的状況において命じるだろうものに、関心を持つべきだとは考えにくいからである。

語用論的前提の利用はフックの問題を解決しない

  • フックは、条件的命令についての上記の論証に対して、私たちが語用論に訴える必要があると応じるだろう。典型的には、条件的であれ非条件的にであれ、どんな命令に対しても、暗黙裡に理解される、それに従うことについての筋の通った方法と筋の通らない方法がある; そして、患者を殺すことは、真理関数的な条件文を真とするには、全く筋の通らない方法として暗黙裡に理解されるものである。それは、実際、包帯を換える際に患者をほぼ窒息させる不適格な方法で行うようなものである。後者は明らかに命令に従っているが、意図された方法においてではない。
  • しかし、前者と同じことを言うのは、むしろはるかに語用論を引き伸ばすことになる。
    • 例文。学部長が、ある教員の雇用期間が延長されれば、カント講義を行うと承諾したとしよう。学部長はその後、その教員の雇用期間が延長されないように全ての労力を払う。これが、意図された方法ではないにしても、彼女がするように頼まれたことをしていると言うことは妥当でない。

ヤジルシの理論

  • スタルネーカーの説明では、「もし雨が降るなら、傘を持っていきなさい」“If it rains, take your umbrella”は「雨が降る最近接可能世界において、傘を持っていきなさい」“In the nearest possible world in which it rains, take your umbrella”となる。私があなたの命令を忘れ、代わりにそれを無視したくなったと考えてみよう。しかしながら、雨は降らなかった。雨の降る最近接可能世界において、私は傘を持っていっていない。スタルネーカーの説明では、私はあなたに従わなかったことになる。
  • 条件的約束についても同様である。条件的命令と約束は、他の可能世界における私の行動についての要請ではない。

条件的質問

  • 条件的質問において、前件が真であるかどうかを受け手が知っていると考えられている条件的質問と、そう考えられていない条件的質問を、私たちは区別することができる。
    • 後者の場合では、受け手は前件が真であると想定し、後件についての彼の意見を出すように頼まれている: 「もし雨が降るなら、試合は中止されますか」“If it rains, will the match be cancelled?”
    • 前者の場合–「もしロンドンに行ったことがあるなら、よかったですか」“If you have been to London, did you like it?”–では、前件が真であるなら後件の問いへ答えるように受け手は期待されている。もし前件が偽であれば、問いは執行する: 彼にとって表現すべき条件的信念は全くない。
    • 「もし子どもをお持ちなら、何人の子どもをお持ちですか」“If you have children, how many children do you have?”と尋ねるフォームに「該当しない」“Not applicable”と書く子どものいない夫婦のようなものである。あなたは最近接世界において何人の子どもを持つか問われているわけではない。また、「私が子どもを持つ ⊃ 私は18人の子どもを持つ」“I have children ⊃ I have 17 children”と答えることも真ではない。あなたが確かに子どもを持つように信じるようになったとしたら、あなたは後件について何を信じるかを問われている訳ではない。

結論

  • これらの他の条件文を含むように私たちの視野を広げることは、サップの見解にしたがう傾向がある。どんな命題的態度も、定言的に主張されうるし、また想定のもとでも主張なされうる。どんな発話行為も、無条件に遂行されうるし、他の何かの条件のもと遂行もされうる。「もし」の私たちの使用は全体として、条件的命題を換気すること無しの方が、より上手く、そして統一的に説明されるように思われる。